研究ノート -近代日本語教育論(1895年から1945年をどのように見るのか)-

 

研究ノート

-近代日本語教育論(1895年から1945年をどのように見るのか)-

泉 史生

 

近代日本語教育とは

近代教育のシステムによって運営された日本語教育のシステム

狭義の日本語教育の時代

システムとしての日本語教育が教育の主目的であった時代

近代教育のシステムによるものと、そのシステムによらない日本語教育の時代

広義の日本語教育の時代

システムとしての日本語教育以外の日本語教育を含む

関(1990)侵略的日本語普及の時代に含む

近代日本語教育はいつからか(いつまで)

狭義の日本語教育の時代(18951945

1945年以降の定義(関(1990)国際交流のための日本語教育)

広義の日本語教育の時代(1895-現在継続中)

1945年以降の定義

→近代教育のシステムと近代教育のシステムの影響を受けた日本語教育を含む→両方を包括→近代日本語教育

 

近代教育の定義

→国民教育(全民教育)を行う

統一内容(内容を決める機関)

内容を広める施設(学校)

内容を伝達する有資格教員養成(師範学校・教員養成学校)

 

近代教育の推進にあたって佐藤(1998)は一斉授業が近代教育に取り入れられ、その方法論が広められたとしている。一斉教育を推進する原動力となったのが師範教育での授業術であると指摘している(1)

佐藤学(1996)『教育方法学』岩波書店 P14

 

近代日本語教育

近代教育の一斉授業システムを取り入れた日本語教育

植民地の隅々まで学校を作り→国語伝習所・公学校・国民学校

日本語をくまなく広める統一課程→国語傳習所規則・公学校規則・国民学校規則

それを実践する教員養成システム→国語学校・師範学校(授業構成としての原動単位による教育)

学制が敷かれた地域(台湾・朝鮮・(南洋))

 

前近代

→師範・師匠またはその言語を知っている人

塾・道場・堂。教えるスキルはなく、書物・知識を輪切りにして講釈・解釈などする人

近代

→教えるためのシステムを通して、一斉授業できる人

教室という場で一定のスキルを持っている

次近代

→学習する人が自由に言語を習得できるようにシステムを創造管理する人

基本はWeb上でも誘導できるスキルを持っている

 

日本語教育史として何をラベルにするのか。

コースデザイン(存在論的定義)

いつおこなっていたのか

どんな施設でどのようにおこなわれていたか

どんな内容だったか

運営はどこが行っていたのか

学習者はどんな人だったのか

教師はどんな人だったのか

規則はあったのかなかったのか

どんな授業が行われていたのか(行動論的定義)

どんな教材・教具を使っていたのか

どんな教授項目だったのか

どのような教授法だったのか(教案)

授業単位はどのようになっていたのか


授業単位(分析単位)

 授業を構成する時間と共にカテゴリー化される内容の機能

1.授業の大まかな仕切りとしての「授業構成」(授業の構成は大きくいくつに分かれているのか)

2.日本語との接触として「接触型」(日本語と最初に触れるのは文・文型・場面等)

3.授業の方法としての、「授業」(対面・個別か一斉授業か、オンラインか VR か)

4.授業の仕方としての「授業タイプ」(師範中心か教師中心、文型中心、活動中心、場面中心・学習者中心か等)

5.教案や授業の構成要素としてのカテゴリーとしての「授業単位」(授業構成の各段のカテゴリー、例えば、導入展開まとめとしているのか、受容・産出・やりとり等)をみていく

 

(2022.08.14)

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