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8月, 2022の投稿を表示しています

研究ノート(その4)-教案の検討-

  研究ノート(その 4 ) -教案の検討-   1 )教案の検討とは Ø   原動単位の検討 Ø   原動単位の連合性の検討 Ø   連合された原動単位の統合性の検討 Ø   原動単位のテクニックの検討 Ø   授業研究は原動単位の検討でもある   2 )原動単位とは Ø   授業を構成する、ある時間から時間によって仕切られた、仕切りの間に存在する概念 Ø   授業には始めと終わりが必ず存在する Ø   「仕切り」ごとにも、必ず始めと終わりがある。つまり、原動単位にも始めと終わりが存在する Ø   授業は原動単位の連合体である。連合体の開始は恣意的であるが、恣意的な開始は連合体の開始である。開始があれば必ず終わりがある。 Ø   開始の原動単位があれば終わりの原動単位がある。 Ø   開始と終わりがあれば必ず中間の原動単位も存在する。 Ø   開始の原動単位と中間の原動単位と終わりの原動単位による連合体が統合的な意味を持ち、新たな全体的な概念が生じ、授業の性格を決定する。 Ø   開始の原動単位で開始された授業は時間の進行と共に概念化された原動単位と衝突する。 Ø   衝突するのは開始によって統合性が想定される概念化される仕切りと、実践上の原動単位が合っていないことによる。 Ø   統合化される授業の性格は開始の原動単位によって方向付けされる。 (2022.08.29)

研究ノート(その3) 授業の成立と教案

  研究ノート(その3) 授業の成立 泉 史生   1 )授業はどのようにして成立しているのか(授業意識の形成)   「教授法」があること →どのように教えるのか    (授業を行う者が無意識に授業を行うと、ある教授法が存 在しているために、無意識にその教授法に乗ってしまう)     「教案」があること →どのような教授法を使うのか (授業意識から授業認識の転換・教授法を意識しその教授法にあった「教案」がどのようなものか認識する )   「時間」 →どのような順番(時間)で教えるのか (授業認識・時間の限られた中で構成を仕切り(構成概 念)を考えて時間の中でどうするのか熟慮 )   教える順番にカテゴリーがあること 教える「内容」があること →教案の仕組みを意識しているか なにを教えるのか・何を教えないのか →教授項目(内容)に沿っているか    それぞれの教授法にはそれぞれの教案が存在している。  教案は紙に書かれたものばかりを言うのではない。  脳裏にすでに存在している。  語学の教科書は必ずある教授法に基づいて、その教授法 を具現化するために ある。   授業には時間があり、必ず時間の流れが存在する。  教案には必ず「始め」と「終わり」がある。  では、始めか ら 終わりまでどの ようにするのか。  どのように始めてどのように終わるのか。  教える順序が必ずある。  時間毎のカテゴリー(概念)がある。     教案は頭の中を投影(授業意識の投影)      ↓ 教案はどのような授業をするのかの反映 授業は時間の流れ      ↓ 区分があり、それが構成となる 構成とは      ↓ 部分にカテゴリーがある     <まとめ> どんな教授法にするのかによって、構成は変わる。 授業の性格上から、どんな構成をとるのか              (とらなければいけないのか) 教案は教授法によって制約を受ける。 始めと終わりが必ずある。それを考える。   研究課題 構成(仕切り)→授業をどのように区分(仕切る)するの            か。 構成概念(原動単位)→構成一つ一つに概念が存在する。

研究ノート (その2)日本語教育の授業はなぜ成立するのか

  研究ノート (その2)  理論的に考えれば、授業構成の時間単位で仕切られる区分の概念がつかめれば、どんな授業も成立する。  45分の授業をどのように仕切り、その仕切りをどのように概念化して連続して45分にするのか。  仕切りの概念は教授法によって概念が異なる。ある教授法の仕切り概念が定式化してれば、どんな教授法でも対応できることになる。  日本語教育の中でもオーディオリンガル・オーラルメソッド・活動型・タスク遂行・オンライン授業など様々な授業にはそれを遂行するための仕切られた概念が存在する。  日本語教師養成に必要なのはある教授法の方法ではなく、その仕切りの概念をつかませることが必要と考える。  その概念がない場合、テクニックだけが先行する。受講生の関心はテクニックを身につけることだけに関心が払われる。  日本語教育史の研究からは仕切られた概念がどのように行われていたのか、必要であるが、なされていない。    

調査のための台湾走破地図-2015年3月までの走破-

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2015年に考えていたこと「日本語教育史とは何かを考えた末に」

 2015年に考えていたこと 日本語教育史とは何かを考えた末に 2015-03-18 日本語教育史 日本語教育史とは何かということを考えた末に、  日本語教育史は日本語教育の古きを知り新しくを開拓する事である。また、日本語教育は過去にどのように行なわれていたのか、考証することも日本語教育史の仕事である。  例えば、植民地時代に日本語を教える学校をが有ったとして、その時代にはどのような事がそこにあったのか、そこにどのように正しく真実に近いものを再現できるかと言うことである。  映画やドラマでは適当でいいのか、思い込みでこんなことしていたということでよいのであろうか。そのためにも研究が必要なのである。  そこから発展すると、日本語教育はかつて、どのように行なわれてきたのかという疑問にぶち当たる。またそれらはどのような体系でどのような政策の元に、どのような人がどうのような人を教えていたのか、教育場面を考えないわけに行かない。  植民地教育=悪論だけではなんら真実は出てこない。また悪を証明するために都合のいいところだけに目を向けることが、果たして正しい学問としての研究になるのであろうか。  日本語教育史というと、植民地教育の強制教育であるという結論を出さないと喜ばない方々が得てしており、どうしてもそこに結論を導きたがる。しかし、そういう姿勢は戦前の教育がどのように機能していたか無視し、戦後のしていることは昔のことはしていないということを強制していることに気がついていない。私の疑問は本当に戦前と今は違うのか、どこが、どのように違うのかということ疑問がつきない。    私の日本語教育史研究はそこから始まった。様々なイデオロギー的な結論が交差する中で、結論ありきのものばかり読んでいても、本当のことはわからないというものであった。当時の現場に極力近づくことが必要と考えた末に、台湾に住むことに決めたのであった。  また自分も日本語教師として、過去とどのように違うのか、それを考えるためにも、日本語教育史は必要なことであると考えている。 

2015年に思っていたこと「歴史的に見た教材と教授法と教案の関係-概要-」

  2015年に思っていたこと 歴史的に見た教材と教授法と教案の関係-概要- 2015-03-18 授業関連 教材の内容云々する前に教材はどのように作られるか研究が必要である。 戦前台湾における教材作成の手順は 教授法の導入→教材研究→実験授業→教材作成→教材策定 という手順を踏んでいる。 教材はある教授法に基づいてその教授法で行なうことを前提に作成されている。 授業は教案によって進行するが、授業は教案に従属する。従って、適当な教案による授業ではその教材の理想とする教授法によってされないため、授業になっていないことが生じてくる。 日本語教育史による今までの教材研究は教授法より先ずはイデオロギー的な内容が重視され、内容が政治思想的にどうなのかを検討することばかりしている。 大正の初期から台湾では一斉授業方式の教授法に移行したため、現在も同じような様相でされているため、教材も基本的に大正期に始まった教授法と教案による流れを汲んでいるために、多人数対応の流れを維持していると言えよう。 大学や高校の授業は教師存在が大きく関わり、語学教育としての日本語教育の訓練を受けた教師より、そうではない教師の比重が大きいため、教師の自己体験としての教授経験からくる教授法が蔓延しているため、成果は生徒学生の能力に負うところが大きい。そのことは教材と教授法と教案が理想的に絡みっていないことを意味する。そのため、教材の理想と教授の現実のギャップに教師が悩む結果になっている。   では、教案がしっかりしていればいいのかというと、そこには教材と教授法が理想とするクラスサイズと教案と教師のテクニクという壁が立ちはだかるために、やはり教師が悩む結果になる。 一方、補習班はどちらかというとより語学教育としては教材と教授法と教案の一致が理想的に絡み合わせることができ、少人数クラスで一定の成果を収めているといえるだろう。 日本語教育史から見る台湾の現状は、現状にあわせて、教材と教授法とそれにあわせた教案をしっかり作るか、現状を打破するためにはどのような教材、教授法、教案にするのか開発するしか方法はない。 戦前は約10年ごとに教材、授業法、教案が見直しされているが、戦後は約20年ごとに日本から様々に新しいとされるものが入ってくるが、全面的な改革にはなっていない。しかしながら、教授法では教

研究ノート -近代日本語教育論(1895年から1945年をどのように見るのか)-

  研究ノート -近代日本語教育論( 1895 年から 1945 年をどのように見るのか)- 泉 史生   近代日本語教育とは 近代教育のシステムによって運営された日本語教育のシステム 狭義の日本語教育の時代 システムとしての日本語教育が教育の主目的であった時代 近代教育のシステムによるものと、そのシステムによらない日本語教育の時代 広義の日本語教育の時代 システムとしての日本語教育以外の日本語教育を含む 関( 1990 )侵略的日本語普及の時代に含む 近代日本語教育はいつからか(いつまで) 狭義の日本語教育の時代( 1895 - 1945 ) → 1945 年以降の定義(関( 1990 )国際交流のための日本語教育) 広義の日本語教育の時代( 1895 -現在継続中) → 1945 年以降の定義 →近代教育のシステムと近代教育のシステムの影響を受けた日本語教育を含む→両方を包括→近代日本語教育   近代教育の定義 →国民教育(全民教育)を行う 統一内容(内容を決める機関) 内容を広める施設(学校) 内容を伝達する有資格教員養成(師範学校・教員養成学校)   近代教育の推進にあたって佐藤( 1998 )は一斉授業が近代教育に取り入れられ、その方法論が広められたとしている。一斉教育を推進する原動力となったのが師範教育での授業術であると指摘している (1) 。 佐藤学( 1996 )『教育方法学』岩波書店 P14   近代日本語教育 近代教育の一斉授業システムを取り入れた日本語教育 植民地の隅々まで学校を作り→国語伝習所・公学校・国民学校 日本語をくまなく広める統一課程→国語傳習所規則・公学校規則・国民学校規則 それを実践する教員養成システム→国語学校・師範学校(授業構成としての原動単位による教育) 学制が敷かれた地域(台湾・朝鮮・(南洋))   前近代 →師範・師匠またはその言語を知っている人 塾・道場・堂。教えるスキルはなく、書物・知識を輪切りにして講釈・解釈などする人 近代 →教えるためのシステムを通して、一斉授業できる人 教室という場で一定のスキルを持っている 次近代 →学習する人が自由に言語を