2015年に考えていたこと「日本語教育史とは何かを考えた末に」

 2015年に考えていたこと

日本語教育史とは何かを考えた末に

日本語教育史とは何かということを考えた末に、

 日本語教育史は日本語教育の古きを知り新しくを開拓する事である。また、日本語教育は過去にどのように行なわれていたのか、考証することも日本語教育史の仕事である。

 例えば、植民地時代に日本語を教える学校をが有ったとして、その時代にはどのような事がそこにあったのか、そこにどのように正しく真実に近いものを再現できるかと言うことである。

 映画やドラマでは適当でいいのか、思い込みでこんなことしていたということでよいのであろうか。そのためにも研究が必要なのである。

 そこから発展すると、日本語教育はかつて、どのように行なわれてきたのかという疑問にぶち当たる。またそれらはどのような体系でどのような政策の元に、どのような人がどうのような人を教えていたのか、教育場面を考えないわけに行かない。

 植民地教育=悪論だけではなんら真実は出てこない。また悪を証明するために都合のいいところだけに目を向けることが、果たして正しい学問としての研究になるのであろうか。

 日本語教育史というと、植民地教育の強制教育であるという結論を出さないと喜ばない方々が得てしており、どうしてもそこに結論を導きたがる。しかし、そういう姿勢は戦前の教育がどのように機能していたか無視し、戦後のしていることは昔のことはしていないということを強制していることに気がついていない。私の疑問は本当に戦前と今は違うのか、どこが、どのように違うのかということ疑問がつきない。

 
 私の日本語教育史研究はそこから始まった。様々なイデオロギー的な結論が交差する中で、結論ありきのものばかり読んでいても、本当のことはわからないというものであった。当時の現場に極力近づくことが必要と考えた末に、台湾に住むことに決めたのであった。

 また自分も日本語教師として、過去とどのように違うのか、それを考えるためにも、日本語教育史は必要なことであると考えている。 

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