2015年に思っていたこと「歴史的に見た教材と教授法と教案の関係-概要-」

 2015年に思っていたこと

歴史的に見た教材と教授法と教案の関係-概要-

教材の内容云々する前に教材はどのように作られるか研究が必要である。

戦前台湾における教材作成の手順は
教授法の導入→教材研究→実験授業→教材作成→教材策定
という手順を踏んでいる。

教材はある教授法に基づいてその教授法で行なうことを前提に作成されている。

授業は教案によって進行するが、授業は教案に従属する。従って、適当な教案による授業ではその教材の理想とする教授法によってされないため、授業になっていないことが生じてくる。

日本語教育史による今までの教材研究は教授法より先ずはイデオロギー的な内容が重視され、内容が政治思想的にどうなのかを検討することばかりしている。

大正の初期から台湾では一斉授業方式の教授法に移行したため、現在も同じような様相でされているため、教材も基本的に大正期に始まった教授法と教案による流れを汲んでいるために、多人数対応の流れを維持していると言えよう。

大学や高校の授業は教師存在が大きく関わり、語学教育としての日本語教育の訓練を受けた教師より、そうではない教師の比重が大きいため、教師の自己体験としての教授経験からくる教授法が蔓延しているため、成果は生徒学生の能力に負うところが大きい。そのことは教材と教授法と教案が理想的に絡みっていないことを意味する。そのため、教材の理想と教授の現実のギャップに教師が悩む結果になっている。
 
では、教案がしっかりしていればいいのかというと、そこには教材と教授法が理想とするクラスサイズと教案と教師のテクニクという壁が立ちはだかるために、やはり教師が悩む結果になる。

一方、補習班はどちらかというとより語学教育としては教材と教授法と教案の一致が理想的に絡み合わせることができ、少人数クラスで一定の成果を収めているといえるだろう。

日本語教育史から見る台湾の現状は、現状にあわせて、教材と教授法とそれにあわせた教案をしっかり作るか、現状を打破するためにはどのような教材、教授法、教案にするのか開発するしか方法はない。

戦前は約10年ごとに教材、授業法、教案が見直しされているが、戦後は約20年ごとに日本から様々に新しいとされるものが入ってくるが、全面的な改革にはなっていない。しかしながら、教授法では教師主導の授業体系が少しずつ学生主導の体系に動き始めており。歴史的に見ると新しい流れと言えるだろう。

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